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千葉地方裁判所佐倉支部 昭和47年(ワ)55号 判決

原告

宮野由雄

被告

林田勝男

主文

被告は原告に対し金二九三万四四二四円とこれに対する昭和四四年一二月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金五〇〇万円とこれに対する昭和四四年一二月一四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決と仮執行宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

三  請求の原因

1  事故の発生

発生日時 昭和四四年一二月一三日午後六時三〇分ころ

発生場所 印旛郡四街道町栗山一〇七一番地の四先路上

加害者 被告

加害車両 普通乗用車(千葉五り二六三三号)

被害者 亡 宮野鶴治

態様 亡鶴治は訴外宮野利夫と共に帰宅のためそれぞれ自転車に乗つて県道を佐倉市方面から四街道町方面に向かつて進行し、県道の右側にある自宅に入るため自宅付近で自転車から降り、訴外利夫に続いて幅員約四メートルの道路を左から右へ横断していたところ、被告が高速度で対向して運転してきた加害車に衝突されて転倒し、全身打撲・頭部外傷・頭頂部挫創・左大腿骨複雑骨折の傷害を受け、昭和四七年一〇月一四日死亡した。

なお、亡鶴治は明治四四年三月一日生まれで、健康体であつたが、事故のため医師から危篤と言われるほどの重傷を負い、約一か月半の間意識不明の状態が続き、昭和四五年二月一九日左大腿骨の手術をしたものの、手の施しようがなくて途中で止めたため左足が約九センチメートル短かくなり、膝関節の屈伸がわずかしかできず、骨がつき出たままの不具者となつた。亡鶴治は同年六月二五日退院したが、そのときには逆行性健忘症、思考能力の著しい減退、言語障害が見られ、無気力となつて、体力も著しく減退していた。退院後は布団を敷いたままで、ほとんど寝たきりであつたが、加害者から謝罪も賠償の話もなかつたことが亡鶴治をくやしがらせ、気持を沈うつで不安定なものにさせた。そのため亡鶴治は次第に体力と気力が衰えて死亡するに至つた。したがつて、その死亡と事故との間には相当因果関係がある。

2  責任原因

被告は加害車の所有者であり、自己の運行の用に供し、運行利益と運行支配を有していたから、自賠法三条本文により賠償責任がある。

3  損害

(一)  休業補償費 八五万円

亡鶴治は畳職人であつて、日給三〇〇〇円を下らない収入を得て、一か月に平均二五日間稼働していた。同人は国立療養所下志津病院で治療を受けたが、昭和四四年一二月一三日から昭和四五年六月二五日まで一九五日間入院し、翌二六日から同年一一月一七日まで一四五日間通院したので、その間休業を余儀なくされ、八五万円の損害を受けた。

(二)  後遺症による逸失利益 七八万三〇〇〇円

亡鶴治は後遺障害等級表の八級に該当する後遺症を受けたので、労働能力喪失率は四五パーセントであつた。同人は昭和四五年一一月一八日から昭和四七年一〇月一四日まで六九六日間の後遺症による逸失利益として七八万三〇〇〇円の損害を受けた。

(三)  死亡による逸失利益 一八〇万三七三八円

亡鶴治は死亡時六一才であつたが、後遺症と著しい体力の消耗さえなかつたならば、あと七・二年就労することができた。生活費を収入の三分の一として控除すると、ホフマン係数が六・五八九であるから、その逸失利益は一八〇万三七三八円となる。

(四)  亡鶴治の慰藉料 三〇〇万円

(1) 入院について 六〇万円

(2) 通院について 一〇万円

(3) 後遺症について 一三〇万円

同人は約九センチメートル左足短縮の跛行、歩行障害、言語障害等の後遺症のため職人として活躍できる時期を失い、かえつて人の手を借りなければ日常生活も満足にできないような状態になつた。その精神的苦痛は大きかつた。

(4) 死亡について 一〇〇万円

(五)  原告の慰藉料 五〇万円

原告は心のよすがとしていた父を失つたので、その精神的打撃は極めて大きい。

(六)  葬儀費用 三〇万円

原告は亡鶴治の長男として通念に従つて葬儀を行つた。定額請求として三〇万円を請求する。

(七)  原告は亡鶴治の長男であり、他の相続人が亡鶴治の事故による損害賠償請求権の相続を放棄したので、右(一)ないし(四)の賠償請求権を相続により取得した。

(八)  亡鶴治は自賠責保険から障害補償(八級)として一六八万円の給付を受けたので、これを控除すると損害の残額は七二三万六七三八円となる。

(九)  弁護士費用 三〇万円

原告は事故の解決を原告訴訟代理人に委任し、訴訟費用として一〇万円を支払い、これと成功報酬を合わせて日本弁護士連合会報酬規定の範囲内で三〇万円を同人に支払うことを約束した。

4  そこで、原告は被告に対し右損害金七五三万六七三八円のうち五〇〇万円とこれに対する事故発生の日の翌日である昭和四四年一二月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  請求の原因に対する答弁

1のうち原告主張の日時場所で亡鶴治が乗つていた自転車と被告運転の加害車が衝突し、亡鶴治が受傷した事実は認めるがその余の事実は否認する。同人は受傷後ほぼ三年近くたつて心不全により死亡したのであり、その死亡と事故との間には因果関係がない。2のうち被告が加害車の所有者であり、運行供用者であつた事実は認めるが、被告には免責事由があり損害賠償責任はない。3の(一)ないし(六)の事実は知らないし、損害額は争う。(七)の事実は知らない。(八)のうち亡鶴治が八級障害補償として一六八万円の給付を受けた事実は認める。(九)の事実は知らない。

五  被告の主張

1  被告は四街道町方面から佐倉市方面に向かい時速約五〇キロメートルで前方を十分に注視しながら現場付近に差しかかつたが、対向車二台が通過した直後、亡鶴治の乗つた自転車がその後から突然斜めに飛び出して被告の進路に進入して来たのを発見し、急制動と急転把をした。亡鶴治は当時酒を飲んだうち無灯火で走行していたのであり、交通状況に全く意を払わずに加害車の直前を横断しようとしたのであるから、事故は同人の一方的、かつ、重大な過失によつて発生した。被告にはこのような非常識な交通関与者の存在をも考慮して運転すべき注意義務はなかつた(信頼の原則)から、何ら過失がなく、また、加害車には構造上の欠陥、機能上の障害が存しなかつたから、被告は自賠法三条但書により免責されるべきである。

2  被告は亡鶴治の治療費、付添費として合計八一万一五三八円を、休業補償として一〇万円を支払つた。

六  被告の主張に対する答弁

1の事実は否認する。亡鶴治は自宅付近で自転車から降り、左右の車両の通行に十分注意を払つたうえ横断を開始したのであつて、被告は時速七〇キロメートルをこえる速度で加害車を漫然と運転し、前方注視義務を怠つていた。亡鶴治には過失がなかつたのであつて、事故は被告の過失によつて発生した。また、加害車はブレーキがあまく、しかも片効きの状態であつたから、構造上の機能障害があつた。2の事実は認める。

七  証拠〔略〕

理由

一  昭和四四年一二月一三日午後六時三〇分ころ印旛郡四街道町栗山一〇七一番地の四先路上で被告運転の普通乗用車と亡宮野鶴治が衝突し、亡鶴治が傷害を受けた事実は当事者間に争いがない。〔証拠略〕によると亡鶴治はそのため全身打撲、頭部外傷、頭頂部挫創、左大腿骨複雑骨折を受け、直ちに四街道町の国立療養所下志津病院に入院した事実を認めることができる。

二  〔証拠略〕によると亡鶴治は昭和四七年一〇月一四日午後零時二〇分四街道町の中島病院で心不全により死亡した事実を認めることができる。そこで、〔証拠略〕を総合すると次の事実を認めることができる。すなわち、亡鶴治は明治四四年三月一日生まれの男子で、一五才のころ畳職の見習いを始め、五年後には自分で畳職の仕事をしていたが、昭和一五年ころ国鉄職員となり、戦時中一時召集を受けたものの、戦後復職して昭和四〇年国鉄を退職し、以後畳職の仕事に従事していたのであつて、その健康状態は良好であつた。同人は事故の日午後八時ころ下志津病院に収容されたが、左大腿骨が複雑骨折し、頭頂部と左側頭部に一五センチメートルの挫創があり、意識不明の状態に陥つていた。その意識不明の状態は約一か月続き、脳に浮腫と軽度の硬膜外出血があるという疑いがあつた。同人は昭和四五年二月一九日左大腿骨複雑骨折の治療のため手術を受けることになつたが、腰椎麻酔の注射を受けたところ血圧が下がつてしまい、手術は中止された。同人は同年六月二五日同病院を退院したが、左足が約九センチメートル短かくなり、左膝関節の屈伸運動が著しく制限されて、歩行障害があり、思考能力が減退していて、言語障害があつた。同人は翌二六日から同年一一月一七日までの間に三日間同病院に通院して頭部外傷と足の疼痛などについて治療を受け、脳波の検査を受けたり、内服薬を服用したりしていた。脳波の検査に異常は認められなかつたが、同人は記憶力も減退し、死亡するまでほとんど寝たきりで、用便も自分でできず、原告の妻が食事の世話や身の回りの世話をしていた。

右の事実によると次のように判断するのが相当である。すなわち、亡鶴治は昭和四四年一二月一三日に事故に会い、昭和四五年六月二五日まで入院治療を受けて退院し、同年一一月一七日まで通院したのち自宅で療養を続け、昭和四七年一〇月一四日死亡したので、その事故発生の日から死亡の日までの間には二年一〇月の期間があつた。しかし、同人は事故によつて約一か月間の意識不明状態を伴う頭部外傷と左大腿骨複雑骨折等を受け、一九五日間入院して治療を受けたものの、左足が約九センチメートル短縮し、歩行障害、思考力記憶力の減退、言語障害などを招いたため、退院後は寝たきりの生活を余儀なくされ、長期間にわたつてそのような生活を続けるうち次第にその体力と気力が減退し、それに伴つて心臓も衰弱して行つたものと推認することができるうえ、同人は事故時には五八才の健康な男子で、畳職の仕事に従事していたのであつて、他にその死因である心不全の機序となるような事由が見当たらないのであるから、同人は事故による受傷のため長期間の間に全身的に衰弱し、ひいて心臓衰弱を来たして死亡するに至つたものと推認することができる。そして、右のような原因によつて右のような結果が生ずることは社会通念上肯認することができるといえるから、事故と同人の死亡との間には相当因果関係がある。

三  被告が加害車の所有者であり、これを自己の運行の用に供していた事実は当事者間に争いがない。被告は自賠法三条但書により免責されるべきであると主張するが、その主張は後記のように採用できないから、被告は同法第三条本文により事故によつて生じた損害を賠償する責任がある。

四  〔証拠略〕によつて訴外宮野利夫が昭和四四年一二月一四日事故現場付近を撮影した写真であることを認める〔証拠略〕によると次の事実を認めることができる。すなわち、事故現場は幅員七・二メートル、アスフアルト舗装の県道上である。亡鶴治は自転車を押しながらその県道の左側を佐倉市方面から四街道町方面に向かつていたが、県道の右わきにある自宅に入るためその自宅付近で県道を左から右へ横断していた。被告は加害車を運転し、その県道の左側を四街道町方面から佐倉市方面に向かつて進行していたが、亡鶴治の自転車を発見し、ハンドルを左に切つて急ブレーキをかけたが間に合わず、加害車の右前部を同人と自転車に衝突させた。加害車は県道の左わきにほとんど乗り上げ、古い電柱などに衝突し、これを折損して停車したが、そのスリツプ痕は左側が一四・五メートルに及んで左側路端に達し、右側が途中の衝突地点付近から始まつて七メートルに及び、左側路端に達してそれぞれ消滅しており、その左側スリツプ痕の開始地点から右側スリツプ痕の消滅地点までは約一九メートルであつた。衝突地点は加害車の進行方向の左側路端から約一・八メートルの地点であつた。

ところで、被告は〔証拠略〕において「時速五〇キロメートルで進行中対向車三台が被告の進路の方に寄つてくるように見えたので、ブレーキをかけて減速し、対向車三台とすれ違つたが、それが通り過ぎるとその直後にセンターライン付近に自転車の前輪を発見した。左側スリツプ痕のうち開始地点から約七・九メートルの部分は亡鶴治を発見する前についたものである」旨供述するが、その供述は〔証拠略〕と被告の他の供述部分(被告は徐行しようとしたと供述しているが、徐行する措置を講ずることによつてスリツプ痕がついたとは思われない)と対比して信用しない。〔証拠略〕によると被告はセンターライン付近に達していた亡鶴治を発見すると直ちにハンドルを左に切つて急ブレーキをかけたものと推認するのが相当であり、スリツプ痕はそのためについたものと推認するのが相当である。そのスリツプ痕の長さからみると被告は五〇キロメートル毎時よりかなり高速度で加害車を運転していたものと推認することができ、〔証拠略〕によると加害車の右側ブレーキはその機能に障害があつたものと推認することができる。そして、〔証拠略〕によると現場付近は見通しがよかつた事実を認めることができ、〔証拠略〕によると亡鶴治は左方の四街道町方面の交通を確認して横断を開始した事実を認めることができるので、被告は前方を注視しておれば、亡鶴治をもつと早期に発見することができ、それに応じてもつと的確な措置を講ずることができたものと推認することができる。したがつて、被告は、この前方注視義務を怠つたものと推認するのが相当であり、被告には過失があつたといえる。そうすると、被告の自賠法三条但書による免責の主張は理由がないからこれを採用しない。

なお、〔証拠略〕によると亡鶴治は左の方を見ると遠くの方でライトが光つて見えたのでまだ大丈夫と思つて道を横切つたと供述している事実を認めることができるが、幅員七・二メートルの県道を自転車を押しながら横断しようとしたのであるから、対向車の動静、特にその速度や接近状況に注意を払つて行動すべきであつたのに、これを怠つたものと推認することができ、同人にも過失があつたといえる。

五  事故によつて生じた損害は次のとおりである。

(一)  休業損害

亡鶴治は畳職人であつたが、事故の日の翌日から昭和四五年一一月一七日まで休業したのであつて、〔証拠略〕によると亡鶴治は一日あたり三〇〇〇円を下らない収入を得て一月あたり七万五〇〇〇円を下らない収入を得ていた事実を認めることができる。そうすると、その間の休業による損害として一一か月分の八二万五〇〇〇円を下らない損害を受けたといえる。

(二)  後遺症による逸失利益

原告は亡鶴治が後遺症により四五パーセントの労働能力を喪失したと主張するが、亡鶴治はそれ以上の労働能力を喪失したということができるから、死亡するまでの間の逸失利益として二三か月分の七七万六二五〇円を下らない損害を受けたといえる。

(三)  死亡による逸夫利益

亡鶴治は死亡時六一才であつたから、就労可能年数はあと四年とみるのが相当であり、生活費を収入の二分の一とみるのが相当であるから、その間における逸失利益の死亡時における現価は二四万七五〇〇円(年収)カケル三、五六四三(ホフマン係数)で八八万二一六四円となる。

(四)  亡鶴治の慰藉料

同人の過失をあとで考慮することとすれば、同人の入院、通院、後遺症、死亡による慰藉料は合わせて二五〇万円とするのが相当である。

(五)  原告の慰藉料

亡鶴治の過失をあとで考慮することとすれば、原告の慰藉料は五〇万円とするのが相当である。

(六)  葬儀費用

原告主張のとおり三〇万円とするのが相当である。

(七)  右(一)ないし(六)の損害額は合計五七八万三四一四円となるが、亡鶴治に過失があつたことを考慮するとその八割にあたる四六二万六七三一円を被告に賠償させるのが相当である。

(八)  〔証拠略〕によると亡鶴治の相続人には長男の原告のほか、二男兼治、三男雅則、四男利夫、五男幸男があつたが、事故による損害賠償請求権は原告が単独で相続した事実を認めることができ、これによると原告は亡鶴治の休業損害、逸失利益、慰藉料の賠償請求権を相続により取得したといえる。

(九)  亡鶴治が自賠責保険から八級の後遺障害補償として一六八万円の給付を受けた事実と被告が亡鶴治の治療費、付添費として八一万一五三八円、休業補償として一〇万円をそれぞれ支払つた事実は当事者間に争いがない。そこで、後遺障害補償、休業補償の全額一七八万円と治療費等の二割にあたる一六万二三〇七円を損害の填補として充当するのが相当である。そうすると、その損害の残額は二六八万四四二四円となる。

(一〇)  原告が原告訴訟代理人に本件訴訟の追行を委任した事実は記録上明らかであり、〔証拠略〕によると原告は昭和四七年一一月一日訴訟費用として一〇万円を同代理人に支払つた事実を認めることができる。認容額その他の事情を考慮し、弁護士費用として二五万円を被告に負担させるのが相当である。

六  そうすると、被告は原告に対し、損害金合計二九三万四四二四円とこれに対する事故発生の日の翌日の昭和四四年一二月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある(もつとも亡鶴治の休業損害、逸失利益、原告の葬儀費用、弁護士費用についてはいずれも事故発生時における現価をホフマン式方法で算定すべきであるが、その各損害額はいずれも控え目に算定してあるので、その差額を考慮しないこととする)から、原告の請求のうちこの金員の支払を求める部分は理由があり、その余の部分は理由がない。

そこで、原告の請求のうち理由のある部分を認容し、理由のない部分を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤一隆)

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